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大阪地方裁判所 昭和35年(行)58号 判決 1965年7月27日

原告 岡山毛糸紡績株式会社

被告 大阪国税局長

訴訟代理人 川村俊雄 外三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求めた判決<省略>

第二、双方の事実上ならびに法律上の陳述

(原告)

一、原告は、淀川税務署長に対し、(1) 昭和三二年五月三〇日、同三一年四月一日から同三二年三月三一日までの事業年度(以下「昭和三一年度」という。)の法人税について所得金額を零として、(2) 同三三年五月三一日、同三二年四月一日から同三三年三月三一日までの事業年度(以下「昭和三二年度」という。)の法人税について欠損金額を五八万〇二三五円として、(3) 同三四年五月二九日、同三三年四月一日から同三四年三月三一日までの事業年度(以下「昭和三三年度」という)の法人税について所得金額を零として、それぞそ確定申告書(青色)を提出した。

右確定申告に対し、淀川税務署長は、同三四年一〇月二七日付で、(1) 昭和三一年度所得金額を四七九万九七〇〇、(2) 同三二年度所得金額を一七一万四六〇〇円、(3) 同三三年度所得金額を三九万二三〇〇円とする各決定をなし、その頃これを原告に通知した。

そこで、原告は同税務署長に対し、同三四年一一月二四日右各決定について再調査請求をしたが、同税務署長か同三五年二月二日付で各再調査請求を棄却したので、被告に対し、同月二九日各審査請求をしたところ、被告は、同年八月一八日付で各審査請求を棄却する決定をなし、翌一九日頃原告はその通知を受けた。

二、しかし、淀川税務署長の前記各決定処分における原告の所得金額の算定は、以下記載のとおり誤つているから、これを維持した被告の前記各審査決定は違法である。すなわち、

(一) 原告は、昭和三一年度において訴外日綿実業株式会社(以下「日綿」という。)に対し手形金債務八五三万九、一一九円を負担していたが、被告は、原告が昭和三一年一一月二八日日綿から右債務の免除を受けたものと認定し、右金額に相当する債務免除益が存するとして、原告の同年度ないし同三三年度の各課税所得金額を算定している。

(二) しかし、右債務の免除の事実はない。

日綿は原告に対し、原告が日綿に対し負担する手形金債務九二八万九一一九円のうち七五万円を同年末までに支払えば残余八五三万九一一九円について債権の放棄をする旨を約したが、これが債権放棄ないし債務免除として完全なものでなかつたことは、次の各事情からも明らかである。

1 右手形金債務は、原告がもと訴外丸永株式会社(以下「丸永」という。)に対し負担していた債務であるが、日綿が昭和二九年九月三〇日丸永を吸収合併したので、日綿がその債権者となつたのである。ところが、右合併は特殊な合併であつて、日綿は、丸永の優良資産はそのまま承継したが、不良債権は、合併に際して、訴外三永興業株式会社(以下「三永」という。)と訴外株式会社三和銀行(以下「三和銀行」という。)とに保証させた。したがつて、日綿としては、不良債権は債務者の支払の有無にかかわらず全部回収することができるので、その回収事務、回収実績には無関心といつてよく、回収に関する実情を知悉するものは三永であつた。

2 三永は、当初、原告から債権の三割を回収したい意向であり、原告も事情が好転すれば右程度の支払をしなくてはならないと考えていた。しかし、原告に対する他債権者の取立が急であつたので、原告は、同三一年一一月二八日三永に形式上一応債権を放棄してもらい、その書面を他債権者に見せ、その緩和をはかつたが、その反面において、同時に、日綿に対し情勢が好転し支払能力ができ次第に債務全額を支払う旨を誓約している(甲第六号証参照)。

3 このように実質的に日綿の債権放棄は存在せず、したがつて、債権が消滅していなかつたのであればこそ、日綿は三永に対し同三二年三月二九日原告に対する債権を譲渡したのであり、また、同日三永から右債権全額相当の支払を受けている(甲第七号証参照)。

4 そして、右債権譲渡を受けた三永と原告との間においては、同三四年一二月九日同債権の支払等について、債権八五三万九一一九円のうち一四五万円を、同年一二月末日までに五万円、同三五年から同四三年まで毎年一二月末日までに各一五万円、同四四年一二月末日までに五万円と分割して支払い、右分割支払を二回以上遅滞することなく完済したときは、残債権七〇八万九一一九円を放棄するとの約定が成立している(甲第八号証参照)。

したがつて、原告は、昭和三一年末以後においても、日綿ないし三永に対し前記手形金債務を負担していたことになる。

(三) 原告は、政府から青色申告の承認を受けた法人で、法人税法九条五項の損金を多額にかかえているところから、昭和三一年度において、被告が前記手形金債務について債務免除益を認めて益金に算入する扱いさえしなければ、同年度ないし同三三年度分の原告の課税所得金額は、いずれも零となるのである。

三、よつて、原告は本件各審査決定の取消を求めるため本訴に及んだ次第である。

四、(被告主張事実の認否)被告主張二の事実中、(1) の<1><2><3><6>および、(2) (3) の各<1><2><3>は認めるが、その余の項目は争う。

被告主張三については、1の事実中、日綿が昭和二九年九月三〇日丸永を吸収合併したこと、同年四月二八日三永が設立されたこと、2の事実中、日綿が右合併により丸永が原告に対して有していた債権を含む丸永の債権の一切を引き継いだこと、3の事実、4の事実中、日綿が原告に対する債権の取立事務にあたつていた三永の申出により同三一年一一月二八日右債権九二八万九一一九円のうち七五万円を同年一二月末日までに支払うことを条件に残額八五三万九一一九円を放棄したことは、いずれも認めるが、その余の事実は争う。

(被告)

一、(請求原因事実の認否) 原告主張一の事実、同二の(一)および(三)の事実は認める。原告主張の(二)については、2の事実中、原告が同主張の日に日綿に対し同主張の誓約をしたこと、3の事実中、債権が三永に移転したこと、4の約定が成立したことは、いずれも認めるが、その余の事実は争う。

二、被告が原告の課税所得金額を算定した根拠は次のとおりである。

(1)  昭和三一年度

<1> 当期申告利益金 四二九万〇、二三一円

<2> 非損金(市民税等)の加算 二万〇、〇六四円

<3> 損金不当算入(前年度と二重計上分)是正 一二一万八五六八円

<4> 益金不当不算入(債務免除益)是正 八五三万九一一九円

<5> 当期利益金(<1>+<2>+<3>+<4>) 一四〇六万七九八二円

<6> 法人税法九条五項の繰越欠損金の損金算入 九二六万八二七三円

<7> 当期課税所得金額(<5>-<6>) 四七九万九七〇〇円(一〇〇円未満切捨)

(2)  昭和三二年度

<1> 当期申告欠損金 五八万〇二三五円

<2> 非損金(市民税等)の加算 五〇四〇円

<3> 損金不当算入(岡山仁明の横領金)是正 一五六万〇九八〇円

同(武藤毛織からの手形貸倒損失)是正 一二九万四八三四円

<4> 損金不当不算入(昭和三一年度事業税)是正 五六万五九六〇円

<5> 当期課税所得金額(<2>+<3>-(<1>+<4>)) 一七一万四六〇〇円

(同右)

(3)  昭和三三年度

<1>  当期申告利益金 五一万四七六二円

<2>  非損金(市民税等)の加算 三三五〇円

<3>  損金不当算入(賞与)是正 五万〇〇〇円

<4>  損金不当不算入(昭和三二年度事業税)是正 一七万五七五〇円

<5>  当期課税所得金額(<1>+<2>+<3>-<4>) 三九万二三〇〇円

(同右)

三、被告が右二の(1) の<4>債務免除益を認定した事情は次のとおりである。

1  日綿は、昭和二九年九月三〇日丸永を吸収合併したが、これより先同年三月三〇日付で、日綿、丸永間の覚書により、日綿が実質上丸永の優良資産だけを引継ぎ不良資産は引継がない扱いとすることが約束されていた。これより以前の同年四月二八日三永が設立されたのであるが、右三永は、前記日綿、丸永間の覚書による約束を実施するため丸永の不良資産の整理にあたることを実質的な目的として設立された会社であつた。

2  日綿は、右合併により、丸永が原告に対して有していた債権を含む丸永の債権の一切を引き継いだが、その取立事務には三永があたつた。そして、取立不能債権の処理について、日綿、三永間において、日綿が三永に対し取立不能債権の補償として右債権の額面と同額の金員の支払を請求できるものとし、三永が右金額を支払つたときは日綿から右金額に応ずる額の取立不能債権の移転を受ける旨の約束がなされた。

3  日綿が丸永から引継いだ原告に対する債権額は九八八万四一一九円であつたが、昭和三一年一一月二八日までに現金および小切手で九万五、〇〇〇円の支払と、評価五〇万円の家屋による代物弁済を受けたので、右債権額は九二八万九、一一九円となつた。

4  その後、日綿は、右債権立取の事務にあたつていた三永の申出により、同三一年一一月二八日、原告に対する右九二八万九一一九円の債権について、同年一二月末日までに七五万円の支払を受けることを条件に残額八五三万九一一九円を放棄することとした。そして、日綿は、同年一二月二四日原告から右七五万円の支払を受けたので、右残債権八五三万九一一九円について放棄の効力が生じた。

四、以上の次第であるので、被告のなした本件各審査決定は正当であり何らの違法も存しない。

五、原告は、日綿の原告に対する債権放棄(債務免除)が完全なものでないと主張し、その例証として、(一)原告の日綿に対する昭和三一年一一月二八日付誓約、(二)同三二年三月二九日の日綿から三永に対する債権譲渡、(三)原告と三永間の同三四年一二月九日付契約の存在をあげている。しかし、これらはいずれも右債権放棄の効力を害するものではない。

(一) 原告の日綿に対する昭和三一年一一月二八日付誓約(甲第六号証)について。

日綿もしくは三求が本件債権を放棄するに至つた事情、および、それと甲第六号証との関係についてみるのに、原告は当時繊維業界全般にわたる不況に伴い休業したり営業を再開したりの状況で、工場の土地建物や機械設備には多額の担保権が設定されていたため、余剰価値に乏しかつた(少なくとも外観上もしくは積権者の主観において)うえ、近々に原告の業績が回復する見込もなかつたし、日綿・三永としては、できるだけ早期に丸永の不良債権を整理する必要もあつて、いたずらに価値のない多額の債権を維持するよりも、この際五〇万円と評価された家屋の代物弁済と七五万円の支払を受ける方が得策であるとの判断のもとに債権放棄を行い、甲第六号証は原告の申出に基いて徴されたが、それに基いて後に債権者の方から弁済の請求をする気持はなく、その実効性はすべて原告の代表者の自発的な道義心にゆだねられ、左程期待もされていなかつたというのが真相である。

このことは、諸般の間接事実、すなわち、三永がその後原告に対して弁済の請求をしたり、原告の支払能力等について調査したりしていないし、原告においても本件更正決定があるまで弁済やその提供をしていないこと、三永の日綿に対する補償、三永が甲第八号証による入金を雑益として計理していることなどからも肯定される。

また、三永の川島社長以下の首脳陣は三和銀行から出向した人達によつて占められていた。丸永の不良債権の回収不能による終局的な損失は右訴外銀行が負担することになつていたからである。したがつて、本件債権についても、できるだけ多くの回収に努めるのが川島らの当然の職責であつたはずであり、特別の人的ないし資本上の関係もない原告から強い要請があつたからといつて、回収の見込のおる多額の残債権について容易に甲第五号証(債権放棄証書)のような処分証書を手交したとは考えられない。しかも、原告では弁済期の猶予でもよいと申入れていたにもかかわらず債権放棄の形式が採られている。もし、かりに甲第五号証が原告の他の債権者に見せるためだけの債権者の真意に基かないものであるならば、債権者は少なくともそのことを明示した甲第六号証とは違う書面を要求するのが当然であろう。そうでなければ、本件更生決定のような格別の利害関係の生じないかぎり、原告が後に甲第五号証を盾にとつて残債権の弁済に応じなくなるおそれが多分にあるからである。

(二) 昭和三二年三月二九日の日綿から三永に対する債権譲渡(甲第七号証)について。

日綿は昭和二九年九月三〇日丸永を吸収合併したが、実際には丸永の権利義務のうち優良資産三、〇〇〇万円のみを引継ぎ(それに対応する新株の発行交付)、負債および本件債権を含む不良資産は引継がない条件であつた。しかし、その後右合併促進のため、合併期日までに整理の終らなかつた不良資産も、新しく設立せられた三永および三和銀行が責任をもつてその回収に当り、その損益もすべて負担することを条件として、一応形式的に日綿が引継ぐこととなつた。そして、そのために次のような計理上の操作が行われた。

日綿は、引継不良債権額に対応する金員を帳簿上株式会社三和銀行から借入れたことにする。右債権のうち三永が回収した分は同銀行本店の日綿の当座預金(丸永勘定)に振込み、回収不能分は債権譲渡代金の名目で三永から補償を受け、これを同じく右銀行本店の当座預金に入金する。最後に右当座預金で借入金を返済したことにすることによつて、日綿には損益を残さない。

甲第七号証(債権譲渡書)が作成されたのは、このような日綿と丸永との特異な合併条件に基くものであり、回収不能債権の補賞を受けるための手段に過ぎない。そのことは、譲渡代金が債権額であつて債権の実質的価値に基くものでないことの一事をもつてもあきらかである。

(三) 原告と三永間の昭和三四年一二月九日付契約(甲第八号証)について。

甲第八号証が本件更正決定による課税を免れるために作成されたものであることは、前記第(一)項の事実のほか次の諸事実によつても容易に推認することができる。

(イ) 本訴およびその前置手続と甲第八号証の作成およびそれに基く入金との関係は次のとおりである。

昭和三四年一〇月二七日 更正通知

同年   一一月二四日 再調査請求

同年   一二月 九日 甲第八号証の作成

同年   一二月一〇日 第一回入金

同 三五年一一月一〇日 訴提起

同 三六年 三月二三日 被告第二回準備書面陳述

同年    四月二一日 第二回入金

同年    四月二八日 第三回入金

同 三七年 八月一六日 第四回入金

同年    九月 六日 第五回入金

同年    九月一四日 甲第一一号証の一ないし五提出

同 三九年 一月一〇日 第六回入金

同年 二月七日 証人箕浦俊次の尋問施行

(ロ) 昭和三一年一一月二八日の債権放棄(甲第五号証)よりも支払方法において著しく有利である。

(ハ) 甲第五号証の条件は約定どおり履行されているのに反し、甲第八号証については債権者の方から請求はなく、支払時期、金額ともに原告の代表者の任意にまかせられている。そして、右入金状況によれば、昭和三七年分(一〇万円不足)、同三八年分の遅滞により昭和三八年末日、もしくは二回分(三〇万円)以上である合計三五万円の遅滞により昭和三九年末日かぎり、債権放棄の利益を失つていることになるはずであるが、原告の代表者はその点を格別気にもとめていないように見受けられる。

(ニ) 原告の確定申告書に掲げられている所得金額等は次表のとおりであり、昭和三一年一一月から同三四年一二月までの間に情勢好転し支払能力ができたものとは認められない。また、本件債務免除益の計上年度如何によつては、それに対する課税を免れうる。

表<省略>

(ホ) 原告は、その昭和三七年度決算において、「支払手形に計上中の丸永株式会社分の残債務を帳簿の処理上切捨てたもので、自昭和三一年四月一日至昭和三二年三月三一日事業年度の益金として、税務当局に於て課税済のものである」旨の脚註のもとに、八一三万九一一九円(本件債権放棄額八五三万九一一九円から第一回ないし第四回入金合計四〇万円を差引いた額)過年度損益修正を行い、繰越欠損金を減少させている。

第三、証拠<省略>

理由

一、原告主張一の事実(本件各係争年度法人税の確定申告・決定・審査決定)、被告主張二の事実(本件各係争年度法人税の課税所得金額の算定根拠)中(1) 昭和三一年度の<1><2><3><6>の項目及び昭和三二、三三年度の各<1><2><3>の項目は当事者間に争いがない。

二、被告主張二の事実中(1) 昭和三一年度の<4>債務免除益八五三万九一一九円の存否を判断する。これに関する事実関係についてみると、

(一)  次の事実は当事者間に争いがない。

昭和二九年四月二八日三永が設立された。

日綿は同年九月三〇日丸永を合併し、丸永が原告に対して有していた債権を含む丸永の債権の一切を引継いだ。日綿が丸永から引継いだ原告に対する債権額は九八八万四一一九円であつたが、昭和三一年一一月二八日までに現金及び小切手で九万五〇〇〇円の支払と評価五〇万円の家屋による代物弁済とを受け、その債権額は九二八万九一一九円となつていた。

日綿は右債権取立の事務にあたつていた三永の申出により昭和三一年一一月二八日原告に対する右九二八万九一一九円の債権について、同年一二月末日までに七五万円の支払を受けることを条件に残額八五三万九一一九円を放棄する旨契約したが、他方、原告は日綿に対し、同日、情勢が好転し支払能力のでき次第右債務の全額を支払う旨を誓約した。

日綿は三永に対し昭和三二年三月二九日、原告に対する右債権を譲渡する旨契約した。

昭和三四年一二月九日、三永・原告間において、原告が三永に対し債権八五三万九一一九円のうち一四五万円を、同月末までに五万円、昭和三五年から昭和四三年まで毎年一二月末日までに各一五万円、昭和四四年一二月末日までに五万円と分割して支払い、右分割支払を二回以上遅滞しないで完済したときは、三永は原告に対し残債権七〇八万九一一九円を放棄するとの約定が成立した。

<証拠省略>を総合すると以下の事実が認められる。

1  昭和二九年初頃丸永が経営に行詰つたので、その倒産による経済界の混乱を未然に防止するため、三和銀行等金融関係筋のあつせんにより、日綿は、同年五月一日丸永との合併契約書を取交したうえ、三〇〇〇万円を増資して丸永を吸収合併した(その株主総会決議は同月二九日)。しかし、右のような事情による吸収合併であつたので、あらかじめ同年三月三〇日、三和銀行立会のもとに、日綿.丸永間で、日綿は丸永から実質的に右増資額三〇〇〇万円相当の資産を引継ぐべく、そのため優良資産のみを引継ぎ、損失・不良資産を実質的・経済的には引継がない旨合併の大綱が取決められていた。そして、これを実現する方法として、右合併に先立ち、三和銀行が資本金五〇〇万円を出捐して、合併後丸永の残務整理をするための会社として、日綿が丸永から法律上承継する債権の取立及びその傍らみずから九永より取得する不動産の管理等をすることを主目的とする三永を設立し、右債権取立担当代表取締役川島健児(同銀行前大正橋支店長)以下の役員を送り込んだ。次いで同年五月一日前記合併契約書作成と同時に、(イ)日綿・三永間で、日綿は合併により法律上形式的には丸永の権利義務一切を承継するけれども、承継した資産につき合併後損失を生じたときは、日綿の三永に対する通告により、三永が日綿に対し無条件でその損失を補償をすること(損害担保契約)、右補償をする期間は合併後一年間とするが双方の協議により伸長できることを契約し、(ロ)日綿・三和銀行間で、三和銀行が日綿に対し、右(イ)の三永の日綿に対する補償義務の履行を保証する契約をした。三和銀行は三永の設立と同時に三永と手形貸付手形割引当座貸越保証等による取引契約を締結したが、三永が丸永の旧社屋大阪市南区長堀橋筋一丁目三番地四番地鰻谷東之町一三番地所在七階建ビルデイングを同年七月二〇日取得すると、同年一〇月一日付で前記取引契約による債務に関し極度額二五億円、利息日歩二銭二厘をもつてこれらの不動産に根抵当権を設定し(但し、昭和三一年二月八日登記)、三永に金融な与えていた。右(イ)の補償契約はその後期間が伸長され昭和三二年三月当時も存続していた。

2  日綿は、丸永を合併すると同時に、三永に対し、日綿が丸永から承継した債権の取立に関する一切の行為及び事務を委託し、原告ら債務者にその旨通知するとともに、三永に対して前記(イ)の契約による補償を履行したときは、その補償後三永が引続き日綿の名で債務者に債権取立に関する一切の行為及び事務をし、取立金を三永が取得することを承認した。

日綿としては、原告に対する債権は前記1の合併の方針によれば丸永から経済上実質的に引継がない不良債権に属したのである。これらの不良債権は、合併により形式上は日綿の貸借対照表に売掛金として計上されていたが、短期借入金勘定の見返りとして日綿の単名手形を差入れ、三和銀行の保証を得ていた。

〔勘定処理〕(借方)売掛金=(貸方)短期借入金(三和銀行)

そして、<1>三永が回収したとき、三和銀行本店の日綿A口座(丸永勘定)に振込ませた。(手形による支払を除く。手形は日綿が直接取立をし売掛金勘定を落とす。)

〔勘定処理〕(借方)当座預金=(貸方)売掛金

<2>回収不能のときは、前記(イ)の契約により回収不能による損失の補償を求め、三求はこれを三和銀行本店の日綿A口座(丸永勘定)に入金し、入金と同時に当該売掛金債権を三永に譲渡する。

〔勘定処理〕回収不能・(借方)未収入金=(貸方)売掛金(三永)

入金,譲渡・(借方)当座預金=(貸方)未収入金(三永)

右<1><2>の方法により当座預金振込の回収額がそのまま三和銀行に返済される。

〔勘定処理〕(借方)短期借入金=(貸方)当座預金(三和銀行)

以上のように日綿の勘定処理が行なわれていたのであつて、日綿の貸借対照表上、<1><2>により売掛金・短期借入金両勘定が同時に減額されるが、<1>の同収額も<2>の補償額も結局日綿の勘定を通るだけであつた。日綿は、このような勘定処理から損益の発生する余地はなく、三永に委託した債権取立に関する一切の行為及び事務につき全然利害関係がなく、右委託につき三永か必要とする日綿の社印等も三永の係員の申出るままに押捺し、又、事務処理上、債権放棄という名目によるのも三永側の事務処理にあわせ、その実態の検討をしたことはなかつた。すなわち、真実、債権の取立額如何につき利害関係を有したのは、右短期借入金の回収をはかる三和銀行であり、従つて、実際上は日綿の名によつて不良債権の回収をする三永にほかならなかつた。三永では、前記川島の下で、旧丸永職員守村栄一、箕浦俊次らが三永の職員となり、実質上三和銀行のために、不良債権回収をはかつていたのである。

3  他方、原告は、大阪市東淀川区下新庄町五丁目一番地に工場並びに事務所等建物延建坪二四三・五六坪及び同敷地一〇三二・〇三坪を所有し、同所有紡績機二式(時価一式七〇〇万円位)により事業をする資本金額七〇〇万円の紡績会社であるが、昭和二五年設立当初から丸永と取引があり、仕入の約六〇%を丸永に仰いでいた。昭和二九年四月頃繊維品の暴落により、原告は売掛金およそ二〇〇〇万円の回収不能のため、丸永に対する支払手形債務(前記合併時において前示九九八万九一一九円)ほか約二〇件、以上合計およそ二〇〇〇万円の債務支払が不能となり、間もなく操業を中止し休業状態に入つた。

原告は、前記所有土地建物に対し昭和二七年八月三〇日訴外大阪府中小企業信用保証協会に債権極度額五〇〇万円の順位一番の根抵当権設定登記をしていたが、昭和二九年四月に入り、同月一三日訴外金孝鎬に債権極度額五〇〇万円順位二番の工場抵当法第三条による根抵当権設定登記及び所有権移転請求権保全仮登記を、同月二〇日訴外韓国銀行に債権極度額六〇〇万円順位三番の工場抵当法第三条による根抵当権設定登記を、右建物に対し同月二三日訴外大原重信に所有権移転請求権保全仮登記を、翌五月六日右土地建物に対し右大阪府中小企業信用保証協会に所有権移転請求権保全仮登記をした。

原告は、約一〇ケ月間操業を中止したが、債権者の強制取立等による会社資産の減少はなかつた。昭和三〇年から繊維業界の景気も回復に向かい、同年四月原告は操業を再開し、昭和三一年中には、おおむね常時三、四〇人の従業員により操業していた。原告の貸借対照表上の支払手形・未払金も、昭和三〇年三月三一日現在計二〇二一万二九〇五円(支払手形一九八三万〇一四六円・未払金三八万二七五九円)、昭和三一年三月三一日現在計一八九四万六四〇〇円(支払手形一八三〇万五一二〇円・未払金六四万一二八〇円)、昭和三二年三月三一日現在計一五〇〇万〇三五七円(支払手形・一四一九万五五七九円・未払金八〇万四七七八円)と減少してきた。なお、昭和三一年五月二二日には競落許可により西宮市仁川町二丁目八〇番山林三畝二八歩の所有権を新たに取得している。

4  三永は、日綿から原告に対する債権取立の委託を受けてから、原告に弁済を督促していたが、原告の操業再開後僅かに前示九万五〇〇〇円の支払しか得ていなかつた。三永は、原告の資産に前記各根抵当権設定登記が存在したので余剰価値はないと考え、担保物件の確保は断念したが、原告に対する債権額が九〇〇万円を超える多額であつたので、前記川島(昭和三二年一二月末まで三永在勤)は、すくなくともその三割程度の弁済を求め、同人及び原告分の直接担当者守村(昭和三三年四、五月頃まで三永在勤)、箕浦(昭和三七年三月まで三永在勤)は、原告代表者姜性昊と折衝していた。

およそ半年の折衝の後、姜は、原告の他の債権者からの追及が急であることを事由に、三永に対し、原告がその債務者から取得した宝塚市所在の家屋をもつて前示評価五〇万円による代物弁済をするとともに七〇万円程度の入金をし、これをもつて残債務について棚上(期限の猶予)、そうでなければ債権放棄(免除)のいずれか一方を受けるべく、右いずれかの旨の文書を交付することを懇請した。川島は、弁済額が僅少であつても取立の確実なものは早期にこれを回収するとの方針から、僅少額にせよ回収するのはかえつて有利であると考え、昭和三一年一一月二八日、姜の入金額を七五万円としたうえ、その懇請を容れ、棚上の申出を採らず進んで前示債権放棄契約を締結した。そして、同時に姜が残債務を支払能力のでき次第支払う旨の前示誓約をした、守村が、債権放棄書と右誓約の書面との各文案を作成し、放棄書につき日綿の調印を得てその写一通(甲第五号証)を姜に与え、姜に日綿宛誓約書(甲第六号証はその写である)を差入れさせた。

右放棄書には、「当社(日綿)が貴社(原告)に対し有する債権残額金九二八万九一一九円の内金七五万円を昭和三一年一二月末日までに支払いされたときは、残額(八五三万九一一九円)に対する債権を放棄する。」旨のことばが記載されており、右誓約書には、「貴社(日綿)に対して負担する債務八五三万九一一九円に対しては、昭和三一年一一月二八日付放棄書にて債権放棄を承諾下さいましたが、情勢好転し支払能力が出来次第全額支払うことを誓約する。」旨のことばが記載されている。

原告は右放棄に際して約したとおり同年一二月二七日に七五万円を日綿に支払つた。

5  三永は、姜より差入れさせた右誓約書は、姜の、したがつて商人たる原告の道義的誠意を期待してこれを徴したものであつて、前記放棄書が存在するにもかかわらず、将来右誓約書にもとづいて原告に残債務八五三万九一一九円の支払を法的に強制するつもりは全くなかつた。三永は、右昭和三一年一一月二八日の属する事業年度中に、日綿に対し、原告に対する右債権八五三万九一一九円と前記評価五〇万円の家屋の代物弁済による評価損三五万円との合計八八八万九一一九円につき債権放棄の事由により、その他債務者である会社実在せず、出世払見込なし、債務者行方不明、債権放棄等を事由とする不良債権三六件と一括して回収不能売掛金と報告し、日綿は右事業年度末の月である昭和三二年三月一五日、右三永の報告にもとづいて三永に対し右回収不能売掛金一億二六二一万六七三五円の補償(填補)を求める通告をし、前示昭和二九年五月一日の損害担保契約により、同月二九日右補償金の支払を受け、以上の債権全部を三永に譲渡し、以後債権譲渡の対抗要作を具備するまでの間三永が日綿の名により原告ら各債務者から債権取立をすることを許諾した。日綿は結局右債権譲渡通知をしなかつた。

三永は、その後原告に対してその資力の調査もせず、原告に対して何ら残債権の支払請求をしたことはなかつた。又、淀川税務署長が本件各決定をするまでの間、原告からその支払をする旨の申出は一度もなかつた。

6  前記原告所有土地建物に対し大原重信の経由した所有権移転請求権保全仮登記は昭和三三年四月一六日に、金李鎬の経由した根抵当権設定登記及び所有権移転請求権保全仮登記は同年六月三〇日に、大阪府中小企業信用保証協会の経由した根抵当権設定登記及び所有権移転請求権保全仮登記並びに韓国銀行の経由した根低当権設定登記は昭和三四年三月一六日に、それぞれ権利放棄により抹消登記かなされ、原告所有の土地建物に対する根抵当権設定登記及び所有権移転請求権保全仮登記の一切が抹消された。もつとも、同年六月二三日原告は前記工場敷地一〇三二・〇三坪についてのみ訴外南興物産株式会社に対し根抵当権設定登記及び所有権移転請求権保全仮登記をしたが、これは同会社との間に締結された継続的羊毛原料羊毛製品売買契約に関してである。

7  昭和三四年一〇月二七日頃、淀川税務署長から原告に対し本件各決定が通知され、原告は同年一一月二四日再調査の請求をしたのであるが、この頃、姜は急遽三永に折衝し、三永の常務取締役山路信男及び前記箕浦がこれに関与し、原告・三永間において前示二(一)末段掲記の同年一二月九日の約定が成立し、その旨を記載した日綿作成名義の念書(甲第八号証)が三永から原告に交付された。その際、姜は三永に対して、特に、右念書記載の一四五万円を完済したときは昭和三一年一一月二八日付誓約書(甲第六号証の原本)を返還する旨を記載した書面の交付を懇請し、三永から右趣旨を記載した昭和三四年一二月九日付の日綿作成名義覚書(甲第一二号証)の交付を受けた。

姜は右念書(甲第八号証)により定めた同年一二月末までに支払うべき五万円を早くも同月一〇日に支払い、同月一七日右念書を淀川税務署に提出した。しかし、翌昭和三五年一二月末までに支払うべき一五万円は昭和三六年四月二一日及び二八日に(四か月二八日遅滞)、昭和三六年一二月末までに支払うべき一五万円は昭和三七年八月一六日に五万円、同年九月六日に一五万円(九か月六日遅滞、右計二〇万円のうち五万円は同年一二月末までに支払うべき一五万円に充当される)、同年一二月末までに支払うべき一五万円のうちその余の一〇万円は昭和三九年一月一六日に(一年一か月一六日遅滞)支払われた。原告は、その後、右念書により定めた支払金の弁済を一切していない。

三永は、前記日綿に対してなした原告に対する債権の損害填補につき損金計上をし、日綿から前示のようにこれらの債権を譲受けても、帳簿上資産に計上せず、原告からの右入金を雑収入として計上し、日綿から譲受けた原告に対する売掛債権の弁済としての取扱をしていない。原告はその第一三期事業年度(昭和三七年四月一日から昭和三八年三月三一日まで)において、前記八五三万九一一九円から同事業年度中までに支払つた右昭和三四年一二月九日付念書により定めた支払金の合計四〇万円を差引いた八一三万九一一九円について、昭和三一年度益金として税務当局において課税済との事由により繰越欠損金勘定から切捨て、もはや三永に対する債務は存在しないとの取扱に変更した。

以上の事実が認められる。昭和三一年一一月二八日付債権放棄証書(甲第五号証)及び同日付誓約書(甲第六号証)の趣旨について、証人守村栄一の証言は、あえて被告に迎合して原告に不利益な事実を供述するものとは考えられず、当時三永にあつて原告に対する債権回収事務を直接担当していた者として自ら関与した事実をそのままに証言するものと認められるのであつて、乙第一二号証、証人川島健児、同箕浦俊次の各証言、原告代表者本人尋問の結果中、以上の認定に反する部分は、右のような証人守村栄一の証言と比べて信用しないところである。ほかに、以上の認定をくつがえすに足りる証拠はない。

三、前示事実関係によると、丸永に代り事実上原告の債権者となつた三永が、昭和三一年一一月二八日、残余の債権の放棄をしてでも、原告代表者姜の申出を容れて前記評価五〇万円による家屋の代物弁済と七五万円の支払を受けることを有利であると判断したところから(客観的に回収不能であつたか否かは別として。)、日綿の名により原告との間において、前記債権放棄証書(甲第五号証)に記載されたことばのとおり、「昭和三一年一二月末日までに(原告が)七五万円を支払いされたときは、(日綿は原告に対し)残額(八五三万九一一九円)に対する債権を放棄する。」旨の停止条件付債権放棄契約を締結したのであり、又、その条件の成就により日綿は三永から前記昭和二九年五月一日の契約により残債権八五三万九一一九円全額の損失補償を受けることができたのであつて、右債権放棄契約と同時に原告から日綿宛をもつて三永に対してなされた誓約、すなわち、前記誓約書(甲第六号証)の「(日綿より)債権放棄を承諾下さいましたが、情勢好転し支払能力が出来次第全額支払うことを誓約する。」とのことばの意味は、債権放棄(債務免除)契約の効力の消滅を、将来の不確定な原告の支払能力回復の事実(条件事実)にかからしめるべき旨を約定したもの(解除条件付債権放棄契約の締結)ではなくて、原告は単に徳義上誠意をもつて任意に支払をなす債務(債権者の掴取力に服さない自然債務)を負担する旨の誓約をしたに過ぎないと解するのが相当である。

そして、同年一二月二八日原告は日綿に右七五万円を支払つたから、右停止条件付債権放棄(債務免除)契約は、同日、条件の成就によりその効力を発生したというべきである。

四、原告は、右債権放棄契約によつて日綿は残債権を完全に放棄せず、未だその効力を生じていないと主張し、その間接事実として、昭和三二年三月二九日の日綿から三永に対する債権譲渡ならびに三永から日綿に対する右譲渡債権額相当金員の支払、昭和三四年一二月九日の原告・三永間の残債権八五三万九一一九円の支払に関する契約ならびに同契約に定める債務の一部履行をした事実の存在することを主張する。

(1)  しかし、右昭和三二年三月二九日の日綿から三永に対する債権譲渡は、前示二の事実関係から明らかなとおり、三永が前記三永・日綿間の昭和二九年五月一日の損害担保契約にもとずいて原告に対する債権の回収不能額八五三万九一一九円の損失を補償し、その事後の処理として、日綿が前記三永・日綿間の昭和二九年九月三〇日の契約にしたがつて、三永の補償した右原告に対する残債権八五三万九一一九円を、その他債務者である会社が実在せず・出世払見込なし・債務者行方不明・債権放棄等の事由による回収不能の不良債権として同時に三永から補償を受けた債権と一括して三永に譲渡し、日綿の貸借対照表上の売掛金勘定から消滅させたものであつて、三永もこれらの譲受債権を資産に計上していないのである。日綿は、原告に対する法律的強制力のない自然債権(原告の日綿に対する自然債務)八五三万九一一九円を三永に譲渡したものであつて、三永が日綿に対して補償した八五三万九一一九円はあくまで損失補償契約に基づく損失補償金であり、譲受債権(原告の自然債務)の対価ではないというべきである。

(2)  次に原告・三永間の昭和三四年一二月九日の残債務八五三万九一一九円の支払に関する契約(前示二(一)末段掲記)についてみるのに、前示二の事実関係のように、(イ)同契約締結の契機は本件各係争年度の法人税についで淀川税務署長が原告に決定の通知をしたことであり、(ロ)原告代表者姜は、右契約をした際、ことさらに懇請して、同契約所定の一四五万円を完済したときは昭和三一年一一月二八日付誓約書を返還する旨記載した日綿作成名義覚書(甲第一二号証)を三永から貰い受け、(ハ)右一四五万円中昭和三四年一二月末日までに支払うべき五万円を契約締結の翌日である九日に支払い、同月一七日その契約書(甲第八号証)を淀川税務署長に提出し、(ニ)当時、すでに所有土地建物等に従来から存した根抵当権等を一掃したことからも一端を窺うことができる原告の資力の回復にもかかわらず、一一年間にわたる長期の年賦支払という原告にとつて極めて有利な契約であり、又、三永の債権回収方針からは理解し難い支払方法を定めており、(ホ)残債権八五三万九一一九円のうち年賦支払をすべき一四五万円を二回以上遅滞することなく完済することを停止条件として、その余七〇八万九一一九円の債権放棄をする契約であるのに、原告は、前記第一回の支払を早々に済ませたのは例外として、第二回以降の支払は、右のような原告の資力からすれば先の昭和三一年一一月二八日の契約による七五万円の一時支払より遥かに容易であると考えられるにもかかわらず、遅滞するのを常とし、早くも昭和三六年一二月末日には二回以上の遅滞があり、残債務七〇八万九一一九円の免除を受ける利益を失い、(ヘ)原告の第一三期事業年度(昭和三七年四月一日から昭和三八年三月三一日まで)中までに右一四五万円に対し遅滞しながらも、とにかく合計四〇万円の支払をしたが、同事業年度において原告が未払債務としていた八一三万九一一九円を繰越欠損金の計算から切捨てるとともに、昭和三九年一月一六日に一〇万円の支払をしたほかは、その後三永に対し年賦金の支払を一切していない、(ト)三永は右契約をしながら何ら積極的に原告からの債権回収をはかつていない、のである。右諸事実を総合すると、原告・三永間の昭和三四年一二月九日の契約において、原告及び三永は原告の資力が回復したものとして、前示自然債務について新たな弁済期等の約定をしたにすぎないというべきである。

(3)  してみると原告主張の間接事実は、前示残債務八五三万九一一九円が債権者の掴取力に服しない自然債務であることを認定するについて、何等の支障(間接反証)となるものではない。原告の主張するところは採用できない。

五、思うに自然債務の負担をもつて法人税法上の損金の発生ということはできないから、通常の債務が免除された場合、同時に自然債務を負担したからといつて、債務免除益がないということはできない。すると被告の主張するように昭和三一年度において債務免除益八五三万九一一九円を計上すべきであるので、その結果、本件各係争年度の課税所得金額は次のとおり算出される。

(1)  昭和三一年度

(一)  益金

前記被告答弁事実二掲記<1><2><3>の項目(当期申告利益金四二九万〇二三一円・非損金《市民税》の加算二万〇〇六四円・損金不当算入《前年度と二重計上分》是正一二一万八五六八円、以上合計五五二万八八六三円)と前記認定の債務免除益八五三万九一一九円とを合計して、益金一四〇六万七九八二円が算出される。

(二)  損金

前記被告答弁事実二掲記<6>の項目(法人税法九条五項の繰越欠損金の損金算入九二六万八、二七三円)。

(三)  所得金額((一)-(二))

四七九万九七〇〇円(一〇〇円未満切捨)。

(2)  昭和三二年度

(一)  益金

前<2><3>の項目(損金《市民税等》の加算五〇四〇円・損金不当算入是正《岡山仁明の横領金一五六万〇九八〇円及び《武藤毛織からの手形貸倒損失》一二九万四八三四円、以上合計二八六万〇八五四円)。

(二)  損金

まず、前記<1>の項目(当期申告欠損金五八万〇二三五円が存在する。

次に、前年度に所得金額四七九万九七〇〇円があるの

で、これに対する事業税額を損金に算入すべきところ(法人税法九条二項参照)、前年度終了の日現在における税率によると右事業税額は次のとおり五六万五九六〇円(一〇円未満切捨)と算出される(地方税法七二条の二三、昭和三二法六〇改正前の同法七二条の二二の一項一号)。

所得のうち50万円以下の金額の100分の10

500,000円×10/100 = 50,000円

所得のうち50万円をこえる金額の100分の12

(4,799,700円-500,000円)×12/100 = 515,964円

合計 565,964円

したがつて、損金は、前記五八万〇二三五円と右五六万五九六〇円との合計一一四万六一九五円である。

(三)  所得金額((一)-(二))

一七一万四六〇〇円(一〇〇円未満切捨)。

(3)  昭和三三年度

(一)  益金

前記<1><2><3>の項目(当期申告利益金五一万四七六二円・非損金《市民税等》の加算三三五〇円・損金不当算入《賞与是正五万円、以上合計五六万八一一二円)。

(二)  損金

前年度の所得金額一七一万四六〇〇円があるので、前同様、前年度終了の日現在における税率によると、これに対する事業税額は次のとおり一七万五七五〇円(一〇円未満切捨)と算出される(昭和三二年法六〇により改正された地方税法七二条の二二の一項一号)。

所得のうち50万円以下の金額の100分の8

500,000円×8/100 = 40,000円

所得のうち50万円をこえ、100万円以下の金額の100分の10

(1,000,000円-500,000円)×10/100 = 50,000円

所得のうち100万円をこえる金額の100分の12

(1,714,600円-1,000,000円)×12/100 = 85,752円

合計 175,752円

(三)  所得金額((一)-(二))

三九万二三〇〇円(一〇〇円未満切捨)。

六、以上の次第であるので、淀川税務署長が原告に対し、昭和三一年度所得金額を四七万九七〇〇円、昭和三二年度所後金額を一七一万四六〇〇円、昭和三三年度所得金額を三九万二三〇〇円としてなした各決定には何ら違法はなく、右各決定を維持した本件各審査決定はいずれも正当であるというべきである。

七、よつて、原告の本訴請求は理由がないから棄却すべく、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山内敏彦 平田孝 小田健司)

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